第18話 反抗

 
 月曜日、遊は教室に入ろうとすると担任教師に呼び止められてそのまま職員室に移動することになった。この間クラスメイト達を傷つけた件についてまだ何も言われていない。たぶんそのことだろう。無表情な担任の背中を眺めながら遊は廊下を歩いて職員室の扉をくぐった。

 で、すぐにも出て行きたくなった。

 煙草の煙と大人達の体臭に遊は遠慮なく顔をしかめた。

 複数の視線を感じて、遊は反射的にそっちを向く。机にノートや資料を広げたまま紙コップで何かを飲んでいる職員と目があった。すぐにその男は曖昧な笑みを浮かべて視線をそらした。職員達は皆だまってパソコンを操作したり、ホワイトボードに何か書き込んだりと一様に黙りこくって作業をしている。誰も口を利かない。緊張感みたいな、気まずい雰囲気のようなものを感じる。

「南野君、君に確認したいことがあってね。あ、そこにかけてくれたまえ」

 遊は担任の席の隣にあるパイプイスに座る。

「先日、クラスの者が三人怪我をした。演習中でもないのに酷い怪我だった。滝川は三日はまともにメシが食えないくらいだろうと保険医が言っていたくらいだ」

「私がやりました」

 色々と面倒くさくて、すぐに答えた。

 隠すつもりなど最初からないのだからここで時間をかける意味はない。せいぜいこの後、軍事教練担当の教師に引き渡されて、二、三発殴られるくらいだろう。そんなのはもう慣れている。

「ああ、いや、まあ、それは気をつけてほしいが、その、君もセレクションを控えている身だし色々と感情的に不安定になっているのは理解できる。うん、私はそれについては不問とするつもりだ。クラスの子達にもそう説明して納得してもらっている」

 ん?

 遊は予想外の展開に少し驚く。

「私が君に確認したいのは他のことだ」担任はそこまで言って、ひとつ咳払いをした。

「何をですか?」遊は初めてまともに担任教師の顔を見る。

「君は四組の東雲薄荷と二日後のセレクションに参加する気はあるのか? つまり彼と交戦する意志は間違いなくあるのかを確認したい」

 息を飲んだ。

 そんなの……。

「君がクラスメイト達と争いになった原因は東雲薄荷を彼らが侮辱し、それについて君が激高したからだと聞いている。そうなのかね?」

 遊は答えない。

 この場をどう乗り切ればいいのか、考えがまとまらない。

 いや、そうじゃない。嘘をつけばいいだけだ。

 そんなことはない、自分はセレクションに出ることに何も問題はないと、薄荷と戦うことができると――

 嘘?

 嘘じゃない、セレクションに出ないわけにはいかない。

 参加拒否なんかしたら、処罰ではすまない。

 処刑される。

 薄荷はセレクションの日までは今まで通りでいたいと言った。

 じゃあ、その日が来たら?

 その日が来たら、私達は殺しあうのか?

 あの白衣の男が言うようにシステムには逆らえないのか。

 戦うのか?

 薄荷にトリガを引くのか?

 嫌だ。

 そんなのは絶対嫌だ。

 ぐるぐると思考がループし、感情が胸をしめつける。

 担任は続ける。

「君と東雲薄荷が親密な関係にあるという噂もたっている。もちろん、ゲームにさえ参加すれば君達がドコで何をしようが基本的に我々は口を挟むつもりはない。しかし、ゲームに悪影響があると判断された場合、それは再教育の対象となる」

「再教育?」遊の口が勝手に開いて、訊き返した。「先生が私に何を教えてくれるんですか?」

 目の前の大人が沈黙した。

「子供を犠牲にしてのうのうと生き残っている大人が何を教えてくれるんですか?」遊は腕をあげて手首のカウンタをかざす。「私に何かを語りたかったら同じ戦場に立ってください。そして、生き残ってください」

「何もそんな言い方を……私だって、本当はこんな非人道的な行為に賛同しているわけでは――」

 遊の態度に気圧された担任が、弱々しい声を上げる。

「賛成してなくても、何もしなかったら同じなんです。先生はそんなこともわからないんですか? 大人なのに」遊はイスから立ち上がって、担任を見下ろした。「教室に戻ります」遊はため息と共に言葉を落とした。

 ダメだ。

 これ以上、ここにいたらこの男を攻撃してしまいそうだ。

「まだ私の話は終わっていない。す、座りたまえ!」

 なけなしの勇気を振り絞って、目の前の大人が怒鳴った。

「拒否します」

「その返答が、何を意味するのかわかっているのか!?」

「処罰ですか?」

「そうだ」

「わかりました」

 そう言って、遊は扉へと向かう。

「南野! 戻らないか!」

 背中で担任の声を聞く。

「処罰があるまでは、教室にいます」

 言い残して、職員室を出た。

 遊は本日何度目かのため息を吐きつつ、廊下を歩く。

 結局、教室にはたどり着けなかった。

 その前に軍事教練担当教諭達に捕まったからだ。


 白い壁、白い扉、白いベッド。

 お前はどうしようもなく汚れているから漂白するしかないんだと言わんばかりの部屋に遊は閉じ込められた。反省室という名の独房だ。六畳間程度の部屋だが天井が異常に高くて遊の身長の倍くらいはある。入り口の扉は分厚い鉄製で顔の高さの所に金網を貼った窓があった。窓はもう一つ壁にもついているが、こちらは高すぎてのぞくことすら叶わない。細い鉄格子がはめてあって、差し込む陽光がその影をコンクリートでできた床に落としていた。

 遊は白いベッドに身体を投げ出すようにして寝転がった。じゃらり、と両手の手首にぶら下がった手錠が音を立てた。

 たぶんセレクションまでここを出ることは出来ないだろう。

 つまり、次にここを出る時は機銃を持たされて薄荷と対峙することになる。

 セレクションは明後日だ。

 でも、まだ遊には答えも、覚悟も、諦めもなかった。

 何もない。どうしよう。

 兵士になんてならなければ良かった。

 あのまま娼婦をやっていれば、こんなに苦しまなくても済んだのに。

 何を言っている。

 娼婦なんて、私にできるわけがない。

 だから、兵士になったんじゃないか。

 シーツに顔を埋めて、遊は身体を震わせる。

 嗚咽を無理矢理かみ殺して、しゃっくりをしているような情けない声を上げた。

 どうしよう。

 もう何をすればいいのか分らない。ドコを目指せばいいのかも分らない。

 薄荷はどうするのだろう。

 思えば薄荷はセレクションに参加すると知った後もそんなに悩んでるようには見えなかった。

 薄荷はもう二人同じ部隊の子と戦い、勝利している。

 そして、三人目が決まった。ただそれだけなのだろうか。


 ――東雲は生粋の兵士だ。戦場に出れば決して迷わない。あんたを殺すことに戸惑いはない。


 私を殺すことに戸惑いはない。

 殺すことに戸惑いはない。

 寮の管理人の言葉が、遊の頭の中でオート・リピートで再生される。

 確かめたい。

 薄荷の気持ちを知りたい。

 薄荷に会いたい。

 遊はベッドから飛び起きると、手錠につながれたまま両手の拳を扉にぶつける。

「薄荷に会わせて!」

 声を張りあげた。

 誰も答えてはくれない。

 金網の向こうは校庭だった。ここは校庭の隅に建てられた小屋らしい。

 周囲には誰もいない。それでも声をからせて遊は叫ぶ。

「薄荷! 薄荷! 会いたいよ! 薄荷!」

 手錠が何度も扉にぶつかり、そのたび手首に食い込んで痛い。それでも遊は扉を叩くのを止めない。皮がむけて、血が滲んでくる。しかし、扉には傷ひとつつかない。

「薄荷! 薄荷あああっ!」

 この扉さえなければ、薄荷に会いに行けるのに。

 がこんと鈍い音をさせる。

 遊は距離をとって、肩から扉にぶつかっていく。

 はじき返されて、遊は床に転がる。コンクリートで背中を強く打って激痛が走った。立ち上がろうとして、上半身を起こそうとした時、右肩に違和感を感じた。熱っぽい。手で触って確認できないが、どうも腫れ上がっているらしい。

 こんなことをしてどうなると理性に諭される。

 どうせ誰もいないし、いたとしてもこの扉を開けてなどくれないのだ。

 なら、こんな身体を傷つけるだけの行為なんて今すぐやめるべきだ。

 だけど、遊は二度目の体当たりをやっていた。

 結果は同じ。遊はまたコンクリートに身体を叩きつけられる。息があがる。汗が吹き出る。身体の色々な箇所が痛い。床に点々と血の跡ができる。両手の手首の傷口が開いた。遊が起き上がると、手首をつたって落ちていく血の感触がした。

 声がする。

 ――これ以上、身体を傷つけたらセレクションで薄荷とまともに戦うことができなくなるぞ。それでもいいのか?

 うるさい。

 ――ただでさえ戦闘力に差があるのに、簡単に殺されてしまうぞ。いいのか?

 うるさい、うるさい、うるさい!

「薄荷ああああああっ!」

 遊は頭の中の雑音を振り切るように、吼えた。

 そして、また扉へと挑む。

 明後日なんて未来のことなんか知らない。

 誰かが決めたシステムのことなんて気にしていられない。

 薄荷に会いたい。

 今はただその想いだけが遊を突き動かす。