第3話 少女と少年

 
 午前中の授業が終了し、遊と薄荷は帰宅することになった。午後から軍事演習だったが今朝実戦に参加したということで休息しろと命令が出たためだ。遊は午前中の授業を全て睡眠にあてていたので正直疲労はしていなかった。しかし休めるのなら遠慮するつもりはさらさらない。

 遊は薄荷に連れられて教室を後にする。校門を出て正面の坂道を二百メートルほど登ると三階建ての寄宿舎があった。門にプレートが貼ってある。そこに刻まれた寮の名前以外は今朝までいた寄宿舎とほとんど何も変わらない。戦力が均等になるようにたびたび兵士のトレードが行われているように施設も差が出ないようにしているのだろう。薄荷は保健室に用事があるからとまた校舎に戻っていった。こんなに近くなら案内はいらなかったのに。遊は少しだけ薄荷の背中を見送った後、門をくぐる。青々とした雑草、空っぽの犬小屋、錆びだらけの放置自転車。管理のしなさっぷりも前の寮と同レベルだった。玄関に立ってあらかじめ渡されていたカードキーで扉を開ける。チャイムが鳴った。面倒くさそうに中年女性がやってきた。管理人らしい。

「南野遊です。今日からここに入れって言われました」

 遊は辞令を取り出した。

「どうしてこんなに早いんだい?」女性は辞令を見もせずにかすれた声を出した。少し酒臭い。

「今朝実戦に出たから今日はもう終わりです」

「ああ、駅前のヤツあんたか。東雲も出てたけどあいつは?」

「無事です。保健室に用事があるって」

 遊の言葉を聞いて女性は顔を歪める。が、思いなおしたようにすぐに肩をすくめた。

「あんた昼飯は? 悪いけど何も用意できてないよ」

「食堂に自販機とかありますか?」

「あるよ。パンと牛乳」

「それでいいです」

「あんたの部屋二階だから。荷物は部屋の前に置いてある」

「わかりました。靴箱は空いてるの使えばいいですか?」

「いいよ。あとは勝手にしな」

 女性はひらひらと手を振りながら奥へ引っ込んだ。クラスメイトの人数から予想はできていたが、靴箱はほとんどが空き家だった。。寮生はほとんどいないのだ。遊は一番汚れてなさそうな靴箱に自分のスニーカーをしまうと、玄関に転がっていた薄っぺらなスリッパを履いて食堂を探すことにした。建物がほとんど同じだから中の構造も同じはずだ。


***

 食堂で買ったアンパンを頬張りながら遊は入ったばかりの部屋の中を見渡した。一応掃除はしてあるが全体的にどこかくすんだような印象を与える部屋だった。家具は机が二つに二段ベッドのみ。窓にかけてある白いカーテンは日に焼けていて黄色い。床は木目を印刷した化粧板が貼ってあってところどころがはがれかけてささくれ立っていた。

 遊は紙パックの牛乳で口の中のパンを胃に流し込み、制服のままベッドに倒れこんだ。枕元に折りたたんだシーツがある。洗剤の匂いが心地良い。胃がパンの消化を始めたせいか眠くなってくる。制服が皺になるけど……いいか。

 遊は両目をつむって闇の中に身を沈める。

 闇は好きだ。

 何もないのが嬉しい。

 いつだって目に映るモノは嫌なモノばかりだ。

 誰も優しくない。

 全部敵だ。

 だから、トリガを引くんだ。

 ずっとトリガを引き続けて、自分以外の全ての人間が世界からいなくなったらやっと安心できる気がする。

 たぶんその前に死んでしまうとは思うけど。

 それでもいい。

 誰かがトリガを引いて、楽に死なせてくれるのならそれでもいい。

 そうして、誰かのカウンタの数値になるんだ。

 私のカウンタの数値は敵の、敵だった子達の生きた証。

 いつか私の生きた証も誰のカウンタに刻まれる。

 誰のカウンタの数値になるんだろう。

 薄荷。

 薄荷の笑い声で目が覚めた。

「ん……」

 遊は身体を起こす。ぼんやりと視界はオレンジ色に染まっていた。カーテンの隙間から西日が差し、窓枠の影が床に落ちている。遊は立ち上がって窓に近づいた。カーテンを開けて下の景色を見る。今朝と同じワンピースを着ている薄荷が物干し台に立っていた。

「あはっ、あは、あはははははははははっ!」

 一体何がおかしいのか薄荷は一人で一心不乱に笑っている。周囲には変わったものはない。耳にイヤホンをして何かを聴いているわけでもない。遊はこんなにも大声で人が笑うのを始めてみた。どこか変わった子だとは思ってはいた。まるで作り物のように整った容姿をしていて、兵士として飛びぬけた実力を持っている子。そしてきっと何百回もトリガを引いているのにまるで暗さがない。現実離れしている。遊は唾を飲む。

「あはっ、はっ、あはっ、ははははは!」

 薄荷は身体をくの字に曲げて笑い続ける。笑いすぎて苦しいのか身体が小刻みに震えていた。やがて薄荷は膝を折って地面に手をつく。咳き込んで嘔吐していた。それでもまだ笑っている。

 もしかして身体に異状をきたしてはいないか。遊は声をかけようと窓の錠を外そうとした。

 が、視線を感じ手を止めた。

 薄荷が地面に手をついたまま、遊を見上げていた。

 視線が交差する。  薄荷は口元を手の甲で拭うと、さっきまでとは違う困ったようなおどおどした笑みを浮かべる。きっと薄荷は見られたくないものを見られてしまったのだろう。薄荷はふらふらと立ち上がるとその場を逃げるように駆けていった。

 遊の胸に罪悪感のようなものが落ちた。

 カーテンをぴっちりと閉じる。どこにも光が届かないように。遊は再びベッドに身体を投げ出した。


***


 暗く閉ざした部屋の中で覚醒と睡眠の間をいったりきたりしていると机の方から電子音がした。遊は薄目を開く。赤いLEDが光っていた。古い型のルームフォンだ。遊はベッドから這い出すと受話器を手にした。

「はい、南野です」

「あんた、全然降りてこないけど夕飯はいらないのかい?」

 あの管理人の声だった。

「食べます」

「あんたと東雲しかいないんだからまとめて片付けたいんだよ」

「わかりました。行きます」

「ん。早くね」

 受話器を戻してカウンタを見た。100という数値の隣に日付と時刻が表示されている。もう八時を回っていた。正直空腹感は感じない。でも、食べないときっと夜つらいだろう。遊はダンボール箱を漁ってTシャツとスウェットのパンツを取り出した。着替えて部屋を出る。廊下はもう真夜中のように暗い。階段のそばにある消火栓の赤いランプだけが唯一の光源だった。まだ半分ぼんやりしている頭を左右に振ってから遊は歩き出した。階下からは水道の音とテレビのニュース番組らしき音声が聞こえてくる。遊は赤い光を横切り階段を下りる。昼間パンを買った食堂から光が漏れていた。薄荷の笑い声が聞こえて少しだけ躊躇したが、すぐに気を取り直して中に入った。

「南野さん!」

 いきなり薄荷に捕まった。薄荷は食堂のど真ん中の席に陣取り遊にぶんぶん手を振っている。他には誰もいない。さきほどの管理人の言葉通り今日ここで食事を摂るのは二人だけらしい。どこにもトレイは置かれていない。どこで食事をもらうんだろう? しかたなく手ぶらで遊は薄荷の待つテーブルへと移動した。するともう二人分の食事がテーブルには載っていた。薄荷は「はい」と言って遊のためにイスを引いてくれた。遊は「うん」と答えて席についた。「これ、私の?」遊はトレイに載った山盛りのカレーライスとサラダを指差した。

「うん、そうだよ」

「お金は?」

「いいよ、奢ってあげる。転入祝い」

「それは悪いよ」

「気にしないで、ここの食事代めちゃ安いから。いただきまーす!」

 逆手でスプーンを握った薄荷は大口を開けてカレーを頬張る。白いワンピースにルーが飛ばないかと遊の方が心配になった。

「生き残った後のカレーは最高だよね~」

 しかし、薄荷はまるで小さな子供のように食べるのに夢中になっていた。遊はしばらく薄荷の食べっぷりを眺めた後、息をひとつ吐いてスプーンを手にした。

 薄荷は今朝出会った時と何も変わらない印象だった。遊は窓から見た光景が頭に浮かぶ。苦しそうな歪んだ笑顔。遊は薄荷に尋ねるべきかと一瞬だけ考えてすぐにその考えを打ち消した。そんなことを聞いても自分に何かできるわけでもない。遊が遊の事情を抱えてここで生きているように薄荷は薄荷で何かを抱えているのだ。ただそれだけのことだ。今は形式上仲間になっているから同じ敵に対してトリガを引いているけど、いつまたトレードやシャッフルが行われてトリガを引く対象になるとも限らない。

 そんな相手に必要以上に踏み込むことはしない。

 したくない。

「美味しくない?」

 食が進んでいない遊の顔を心配そうに薄荷が覗き込んだ。

「……普通かな」

 遊は薄荷を見ずにそう答えて、食事を再開した。


***


 夕食の後、薄荷にいっしょにお風呂に行こうと誘われた。遊はあまり懐かれても困るから断ろうと思ったが、遊が答える前に薄荷は「用意してくるね」と廊下を駆けていってしまった。追っかけてまで断る気もしない。だんだん距離を置いていけばこっちの気持ちも自然にわかってくれるだろう。遊は部屋に戻ってタオルと石鹸と着替えを持って風呂場へと移動する。風呂場は一階の一番奥にあった。ガラス張りの戸に黒い文字で男湯と書かれていた。赤い文字で女湯と書かれた戸には使用禁止の注意書きが張られていた。以前、ここは男女共用の寮だったらしい。夕食の時、薄荷に聞いたが今この寮に住んでいるのは薄荷と遊だけということだからどちらかの風呂が使えるなら問題はない。

 戸を開けて中に入る。入浴剤の匂いがした。そう頻繁にはお湯を抜かないから、匂いをごまかすために入れているんだろう。遊はスリッパと衣服を脱ぎ捨てるとさっさと湯殿へ足を運んだ。なかなか大きくて立派な風呂だった。

 よく考えたら今朝はいきなり戦闘でその後シャワーも浴びてない。今さらながら腕の匂いをかいでみると汗くさかった。遊は転がっていた洗面器で二回身体にお湯をかけてすぐに湯船に入った。少し熱かったが我慢して首までつかった。

 左脚に微かに痛みが走る。擦り傷があった。今朝の戦闘でつけた傷だろうか。今まで気づかなかったことに驚く。やはり緊張していたのだろう。転入早々、時間割外の戦闘なんてさすがに予想外だった。薄荷がむかえに来てくれなければ間違いなく死んでいたと思う。駅に仕掛けられた爆弾に吹き飛ばされていただろう。

 そう考えると、今こうして生きて風呂に入っているという事実がとても不思議なことに思えてくる。

 熱くなってきた。

 湯船から出ようかと思った時、足音がした。

 曇りガラスの向こうで長い黒髪が揺れていた。 「遊、先にはいっちゃうんだもん」拗ねたような口調の声。

 薄荷が入ってきた。

 いつの間にか呼び捨てにされている。

 遊は注意してやめさせたほうがいいかなと思う。

 薄荷は離れたところで遊に背を向けてシャワーを浴び始めた。会った時からわかってはいたけど薄荷の身体の線はとても細い。それでいて地面を転がりながらフル・オートで機銃が撃てるのだ。あの細い腕も脚も筋肉のかたまりなんだろう。きっと脂肪なんてないのだ。本当に薄荷は綺麗な子だ。遊が二年間過ごした娼館には容姿の優れた子ばかりが集められていたが、薄荷ほどの子はいなかった。きっと薄荷くらいの子なら娼婦ではなく高級官僚の情婦になっている。

 薄荷はきゅっとシャワーを止めて遊の方を向いた。

 あいかわらずの無邪気な笑顔を浮かべている。馴れ馴れしいのは嫌いだけど、この笑顔のせいか遊はいまいち薄荷に強く出られない――

 あやうく叫びそうになった。

 遊は反射的に胸を両手で隠すようにして、再び湯船に沈む。

 慌ててお湯を飲みそうになった。

「どうしたの?」遊の変化に反応して、薄荷が近づいてくる。

「ちょっと待って! ストップ、ストップして薄荷!」

 大声で絶対聞こえるように叫んだ。口に少しお湯が入ったけど、そんなことを気にしている場合ではない。

 非常事態だ。

 それもたぶん今までの人生でも一、二を争うくらいの。

 幸い薄荷は素直にその場で止まってくれた。

 遊は下を向いたまま、声を出そうとする。が、うまく言葉が出ない。

 混乱していた。

 何から話していいのかわからない。

 だって、あんなのいきなり見せられるなんて……。

 ひどいよ。

 確かに娼館にはいたけれど客は一人もとらなかったから、今までギーのしか見たことなかったのに。

「遊、顔真っ赤だから上がったほうがよくない?」

 のんきな声の薄荷が憎らしかった。

「上がれないよっ!」遊は声を荒げた。

「何で?」薄荷は普通に質問してくる。

「だって、あんた……」

 言いかけて、言葉にしかけてやめた。

 それを口にしてしまうのが、何か嫌だった。

「薄荷、悪いけど今すぐ出て! それから私が服着るまで部屋で待機してなさいっ!」

「えっ? でも、僕もお風呂入りたい」

「私が出た後、好きなだけ入っていいからっ!」

「背中洗ってあげようと思ったんだけど」

「ありえないからっ! あと十数えるまでに撤退して! しなかったら次の戦闘で後ろから撃つわよ!」

「ひどいなぁ」

「返事は?」

「はーい」

 薄荷はぶつぶつ文句を言いながら湯殿を出て行った。遊は薄荷の姿が脱衣所から消えると脱力してしばらく動く気がおきなかった。

 自分に落ち度はなかったと思う。

 あんなに綺麗な顔をしていたのだ。

 白色のワンピースだってとても似合っていたのだ。

 確かに確認はしなかったけれど、普通これだけの状況証拠がそろっていれば、そんなことはしない。未だに信じられないと遊は湯船の中でかぶりを振った。

 東雲薄荷が男だったなんて。