第6話 バイバイ、友達

 
 傷が癒える間もなく「実戦」の日はやってくる。

 今日、遊のクラスは全員、市街地戦用の戦闘制服を着て登校した。

 夏目の立てた作戦はこうだった。

 一四○○、戦闘開始のチャイムと同時に東雲薄荷、南野遊両名は校庭に乗り入れてくると予測される敵高機動車を偵察。目的は敵戦力の把握とその報告。交戦となった場合は適宜判断し対処すること。

 一四一五、夏目率いる残存戦力は報告された敵戦力を元に次の行動を決定する。あらかじめ屋上に狙撃手として夏目を含む六名を配置。残り二名は昇降口で待機し夏目の指示を待つ。

 以上。

 死ねということか。

 実戦決行前のホームルームで夏目の説明を聞いて遊は笑い出したくなった。あからさまに遊と薄荷を見殺しにする意図が見え見えすぎる。昇降口に配置した二人は敵を迎え撃つというより遊と薄荷がもし逃げ出そうとしたら後ろから撃つためのものだろう。夏目は屋上の狙撃部隊で敵を殲滅する目算のようだった。確かにこの部隊には長距離射撃を得意とする者は多い。でももし昇降口を突破され敵が屋上に上がってきたら逃げ場はない。敵を校舎には絶対侵入させないのが勝利条件だ。

「何か質問は?」夏目が教室を見渡す。

 誰も手を挙げない。

 遊もいちいち作戦にケチをつける気はもとよりない。

 いざ始まってしまえばあれこれ考えたりはしない。思考よりも早く反射で判断しトリガを引く。それ以外何もない。

 遊は隣の薄荷を見る。

 薄荷は終始うつむいていた。髪に隠れて表情は見えない。

「もうすぐ他の生徒が下校するわ。そうしたらすぐ予鈴だから」夏目はそう言うと、壁の時計を見上げた。遊は窓の向こうの景色をにらむ。

 今回実戦には参加しない生徒達が歩いている。

 中には談笑している者もいた。

 彼らだって、明日は死ぬかもしれないのに。

 それでも笑える。

 人間てすごいな。

 風が吹いて、プランターから生えている向日葵が揺れている。

 薄荷が植えた球根のことが頭に浮かぶ。

 あと一ヶ月か二ヶ月で花が咲くと薄荷は言っていた。

 あの後、あの球根だけ薄荷と植えなおした。

 ダイヤモンドリリーってどんな花なんだろう。

 今日、死んだら見れないや――

 黒板の上に取り付けてあったスピーカーからノイズが流れる。

 続いて、耳障りなくらい大きな音でチャイムが鳴った。

 クラスメイト達が立ち上がる。薄荷と遊も立ち上がった。

 薄荷は黒色のリボンを取り出すと髪を束ねて結んだ。そしてヘルメットを被った。夏目が遊と薄荷にあごで行け、とそくした。薄荷は頷き、遊に「いい?」と尋ねた。遊は機銃を抱えて「いいよ」と答えた。

 二人で教室を出る。

 駆け出した。

 本鈴まであと三分と少し。

 遊は廊下で薄荷の隣に並んで横顔を見る。

 遊の視線に気がついた薄荷が「怖い?」と聞いてきた。

 遊は「わからない」と返す。

 後ろで足音がする。昇降口に待機する二人だ。

 振り返りはしない。見ても仕方がない。

 階段を下りて、昇降口につく。あと二分くらい。もう出るかどうするか一瞬迷って、出ることにした。

 校庭には誰もいない。

 セミの大合唱。夏の日差し。揺れる向日葵。

 身体はまだ少し節々が痛むが、たぶん全力で戦えるだろう。

 全部出し切って、死のう。

 生きてるのなんて大嫌いだけど、犬死は嫌だ。

「来た」

 薄荷の声。心臓の鼓動が速くなる。

 まだ姿は見えない。でもきっと来るんだ。

 薄荷は「匂い」を嗅ぎ取ったんだ。

 予想外のことが早速起った。

 敵の車両は大型トラックが一台だった。幌つきだ。

 敵の人数が見た目だけでは把握できない。

 薄荷はもう飛び出す準備をしていた。わらわらと敵が降りてくる前に一気にカタをつけるつもりだ。戦力が読めないのが気になるがそれしかないか。この前の駅前での戦闘と同じだ。

 本鈴が鳴った。

「僕が先に出る!」

 薄荷はそう叫ぶと、遊の返事を待たずに地を駆けた。

 虚をつかれた遊は一瞬遅れて、駆け出す。

 二人でジグザグに軌跡を描く。

 たまに薄荷が避けてと指示を飛ばす。

 面白いくらいに薄荷は敵の攻撃を読めていた。

 射程距離に到達した。

 薄荷がトリガを引く。遊が続く。

 たちまちトラックのフロントガラスが蜘蛛の巣のようになる。割れはしない。防弾ガラスだ。視界を奪うのが目的。いきなりつっこんでくるような無謀なヤツがいるとは思わなかったのだろう。敵は慌てたようだ。運転手が急ハンドルを切り、トラックは遊と薄荷に背を向けた。幌を張った荷台から兵士が降りてくるのだ。

 ここからだ。

 降りる前に撃ち殺す。

 トラックとは別のエンジン音がした。

 これは……。

「バイク!」

 薄荷は言葉を吐くのと同時にトリガを引いた。

 敵は撃ってはこない。機銃を背負った兵士がトラックの荷台から次々とバイクに乗って降りてくる。全部で五台。運転席に二人いたから合計で七人。でも、まだ荷台に隠れている可能性はある。

 薄荷に撃たれた最初の一台は横転した。足を地面とバイクに挟まれた敵が苦悶の表情を浮かべる。薄荷はすぐにその兵士にもトリガを引いた。兵士は沈黙した。

 その間に四台のバイクは校舎へと向かって疾走する。

 遊は幌の中を注意してのぞく。右手の人差し指はあと1ミリでトリガを引ける。何もない。誰もいない。すぐに運転席側に回る。二人の敵はまだ運転席でぐすぐすしていた。遊は機銃をフル・オートに切り替えてフロントガラスを攻撃する。しばらくするとさすがの防弾ガラスも砕け散った。そして敵の頭もいっしょに砕けた。

「七人まで確認。うち五人はバイクだった。そっちに四人向かった」

 薄荷が無線で夏目に報告をしていた。役目はちゃんとこなすつもりらしい。

 全部で敵は七名。人数はこっちより少ない。しかし、大型トラックとバイク五台という装備を考えると戦力は五分五分なのだろうか?

「戻ろうか、あと四人いるし」

 遊が薄荷の背に声をかけたとき、薄荷が「ヤバい」とつぶやいた。

 え?

 何が?

 答えはすぐに現れた。

 校門に高機動車が一台姿を見せた。駅前で見たのと同じ車種だった。

 十人追加だ。

 敵は助手席から機銃でこちらを撃ってきた。

 遊と薄荷はトラックの陰に隠れる。

 高機動車は止まらずにそのまま走っていった。

 最初の隊から報告を受けて、校舎にいる戦力を先に叩くことにしたのだろう。つぶしやすいところからつぶしていくのが戦いの基本だ。

 遊と薄荷をおとりにして出てきた敵を狙撃するという夏目の計画が崩れた。

 高機動車がトラックの横を抜ける。

 助手席の敵がこっちを向く。隙がある。車の進行速度を計算に入れていない。遊はトリガを引いた。敵が助手席から落ちるのが見えた。しかし、車は止まらない。

 薄荷が飛び出す。遊も続いた。

 もう昇降口の周囲には乗り捨てたバイクが転がっていて、横付けされた高機動車がバリケードみたく入り口をふさいでいる。四人の敵が降りてきて、遊と薄荷を迎撃する。すると、中に侵入したのは最大で九人。昇降口の待機組は二人。

 逃げてなければ、やられている。

「遊!」

 薄荷の指示。遊は敵の弾道を避ける。この子、背中に目がついてるのかと遊は驚く。

 薄荷が二回トリガを引く。一人殺して、一人ははずれた。すかさず遊は残った一人にトリガを引く。刹那、薄荷は立ち止まる。危ないと遊が叫ぶ前に薄荷は二人の敵を切り裂くようにフル・オートにした機銃で始末した。自分にわざと注意を集めてほんの数ミリ秒できた隙――隙ともいえない敵の思考の狭間、その瞬間に攻撃を放ったのだ。遊は息を飲んだ。この子は違う。レベルが違いすぎる。

 敵からの銃撃は止んでいた。残りは全員校舎だ。

 薄荷が遊を振りかえる。「いい?」とその目は尋ねている。

 遊は頷いた。どの道、どちらかが全滅するまでこの戦いは終わらないのだ。

 昇降口に突入した。

 敵はいない。代わりに躯になった二人のクラスメイトが階段に横たわっていた。

 薄荷は足を止めてその二人を見つめる。遊は薄荷の肩に手を置いて「行こう」と言った。薄荷はしばらく逡巡した後、こくんと首を縦に振った。

 屋上まで一気に駆け上がることにする。遊は途中で二人の敵にトリガを引いた。敵は二人とも静かになった。

 あと七人。屋上には夏目を含めた本隊がいる。こちらと合わせれば八人。

 薄荷が屋上の扉を蹴った。

 薄暗かった室内から太陽の下へと再び躍り出た。

 薄荷も遊もすぐさま、扉から離れて地を這うように頭を低くして駆けた。

 視界にはたくさんの兵士の死体が転がっていた。

 敵のも味方のも。

 敵は何人残ってるんだろう。

 味方は何人残ってるんだろう。

 銃声。誰かがトリガを引いた。

 見る。

 薄荷が給水塔の陰に隠れていた敵を倒したのだ。

 でも、すぐそばにもう一人。

 遊もトリガを引く。

 敵は給水塔から落ちた。

 弾丸の残量を確認した。あと少し。でも敵もあと二人のはず。

 味方は――わからない。

「南野!」夏目の声。

 しまったと思った瞬間、敵の銃口がこっちを向いていることに気がついた。

 死の予感がする。

 何人かの人間が同時にトリガを引いた。  敵の弾道は遊を逸れた。薄荷の撃った弾丸が遊を狙っていた敵の肩を貫通したのだ。遊は肩を押さえる敵にトリガを引いた。敵の子の悔しそうな表情が網膜に焼きついた。遊は眉を寄せる。敵の子はうずくまって事切れた。

 数秒後、チャイムが鳴った。戦闘終了の合図。

 大人達が言うところの「ゲーム」が終了した。

 遊の手から機銃が落ちた。勝ったのか? 自分がこうして生き延びているということはそうなのだろう。膝を折って、大きく息を吐いた。全身が震えた。恐怖が時間をおいて襲ってきたのだ。

 怖くて誰かにすがりたくなる。

 誰か。誰でもいいから。

 遊はたくさんの死体が転がった屋上を見渡した。背中でうめき声がして、振り返った。

 鮮血の池の中に沈んでいる夏目が笑っていた。

「……夏目」

 夏目を見た瞬間、遊はわかった。

 この傷は助からない。

 あと十分も、きっともたない。

「……何か言うことある?」遊は夏目の顔を見る。表情は穏やかだった。

「……水が欲しい」

「ごめん、持ってない」

「……じゃあ、もう楽にして」

 意味はわかった。今すぐに殺してほしいということだ。

「そ、それは……」

「軍にしかられるからできない?」夏目が口を曲げる。たぶん笑ったつもりだ。

「そうじゃないけど、でも……」

 遊は右手の人差し指をぎゅっと親指で押さえた。

「どっかの知らない敵よりさ、知ってるヤツのカウンタにカウントされたいんだよね」

 遊は何となく夏目の気持ちがわかった。でも、まだ決心できない。

 夏目の身体に小さな影が落ちた。

 振り返らなくてもわかる。薄荷だった。

 薄荷は黙って、機銃を構えた。

 夏目の顔から表情はもう読み取れない。

 だけど、きっと喜んでると遊は思う。

 遊は夏目から離れて、顔をそむけた。

「ばいばい、夏目」

 薄荷が夏目にトリガを引いた。

 地面に新しい血が広がる。また一つ命が消えた。遊は夏目のほうを見ることができない。

 薄荷は機銃を放り捨てる。

 乾いた金属音がした。薄荷が声をあげて笑った。

「あはははははははははっ!」

 顔を空に向け、その場で踊るようにぐるぐると回りながら薄荷は笑う。

 苦しそうに、つらそうに。

 やり場のない感情をぶつけるように薄荷は笑い続ける。

 ――きっと、薄荷は泣いているんだ。

 遊は薄荷の背を見つめながら、そう思った。